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2006.04.30 臨機応変
術という文字がつくものはある年月を経て一人前になります。

技術・武術、技術者・職人・武術家。

昔の日本には弟子・徒弟制度などがあり、職人・武術家などが師匠について技を習得しました。

だいたいが、最初は技術や技など教えてもらえず、雑用などをさせられたようです。
これを一部ではいじめなどという見方もあります。

すぐに教えてもらうと、はじめは上手くいきません。挫折・成功というの繰り返すことになります。

一方、ある期間教えてもらえず、観察するだけの場合は、教えられたときにはイメージ(意識)の中で段取りがある程度できているので成功が先に来易くなります。

さらに、情報を一方的に受け入れるのではなく、積極的に収集しようとする能力も身につきます。


ここの2つの点が重要で、
すなわち、応用力が養われます。

この応用力こそ質的変換なのです。

教えられるのではなく、昇華する。

意識することの重要を昔の日本人は知っていたのかもしれません。

臨機応変
時と場合によって、適切な行動をとること。


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2006.04.27 一張一弛
反動をつけない動作。

何かしようとするとき、特に力を使う場合反動を使ってしまいます。
これが過ぎると力みに繋がります。

力まない、しかし力を出す。
難しいようですが、実は誰しも発現可能な身体つかいです。

なぜ反動をつけなければできないか? 
を考えると。
一部の部分、例えば手だけ、上半身だけなどを使おうとしていないでしょうか?

身体すべてを使うことができればどうでしょう。
意識を身体全体にいきわたらせてことに臨めば力まず・反動もつけず動作できるのです。

意識を身体全体にいきわたらせて、身体が硬直しては何になりません。
かといって脱力しきってダラッとしてもいけません。

先入感のないニュートラルな状態をもつことが大切です。

私自身ではことに臨むときはいつも立禅の状態をイメージします。

身体全体がばらばらであって(それぞれの役割をこなし)一体になってことに臨む。

身体のちからはいかに効率よい動作ができるかを追求するものです。

一張一弛
弓や琴などの弦を、強くひっぱたり緩めたりすること。
緩急について述べた比喩。
2006.04.26 因果応報
質的変換が起こり、そのとき技になる。

人は常に全身をフル稼働させ感じています。そこには経験や学習も刷り込まれていきますが、ときに判断を誤ってしまいます。

何かを取ったり、置いたりの距離感
実際は届かなかったり。

重さ
思ったより軽かったり。

痛みと気持ちよさ。
傍で見ていると痛そうでも実際は気持ちよかったり。

匂いと味。
絶えられない匂いなのに美味しかったり。

そして人間。
やさしそうに見えて実は怖かったり。

いずれの場合もその逆もありえます。

ときとして学習・経験が感じるちからを邪魔することがあります。

しかし、一流といわれる人たちは寸分の狂いもない判断がくだせます。
稽古・修練・学習・経験を重ねたからでしょうか?

歳をとれば経験が豊富になります。
しかし、皆が一流になれるわけではありません。

一流といわれるひとは質的変換が起こっているのです。
質的変換が成された後は、学習・経験からではなく、常にニュートラルな状態で身体をフル稼働させ感じ、行動できるのです。

質的変換が起こって、となります。


因果応報
行いに応じてその報いがあること。


2006.04.25 融通無碍
価値観と自己責任

自己責任という言葉が昨年あたりからクローズアップされています。

私が思う自己責任とは、”自分で責任をとること”読んで字のごとくです。

最後はだれも責任を取ってくれません。

数年前に人身事故を起こしてしまいました。
重症事故です。
治療費や罰金を払いました。

この頃の私は周りの交通状況に合わせようという運転でした。
そのときも後ろが詰まっていたので強引に右折して事故を起こしてしまいました。

しかし、後ろの車の運転手が責任を取ってくれるはずもありません。

人のせいにしていただけです。
十分安全を確認してから右折すればよいことです。

最近、会社などの不祥事も相次いでいます。
上司に怒られるから、ムリをしたり。

業績を上げるために不正をしたり。

外圧:つまりすべて遠まわしに他のせいにしているのです。
怒られるからやる。
皆がやっているからやる。
すべて他のせい。

最後に責任をとるのは自分。
覚悟。

教育にも問題があるかもしれません。

言い換えれば、自身の価値観にしたがって行動できるか。
他の目。他人の目ではなく。

私の両親は私に自身の価値観で行動するよう教育してくれました。
子供のころは他をうらやましいと思ったことはありませんでした。
しかし、大人になるため教育を受けて、経験を積むと、その自身の価値観で生きることはだんだん苦痛になってきました。

いまふたたび、自身の価値観で生きるために身体に問いかけています。

融通無碍
考えや行動が先入観などに囚われず、自由でのびのびしていること。
2006.04.23 四方八方
モンゴルでは頭の後ろに手を組んで脇を開けると、幸せが逃げるという言い伝えがあるそうです。

脇が甘い・脇を締める・脇を固めるなど脇に関することばも沢山あります。



実は脇にも身体のちからに必要な重要な働きがあります。

脇下(キョウカ)というツボ(経穴名:チョウキン)があります。
場所は脇下ツボ(極泉)の3寸のところから乳のほうへ1寸いったところにあります。

ツボの効用としては、呼吸器疾患・肋間神経痛・嘔吐などがあります。

このツボは禁鍼穴ではありませんが、無理に刺激すると肋間神経痛を起こすといわれております。一転して、急所となりえます。

急所となった場合、
ここを打たれると、肺・心臓に衝撃を与えます。

特に左の脇下には注意が必要です。

脇下を意識することにより、呼吸が楽になり、呼吸によってが体内に充満します。

脇下を上手く使えないと、身体を4面と考えたときに、前後の2面しか使っていないことになります。

前が壇中、後ろが背骨、そして両方の脇下を使ってはじめて、身体は4面となり完璧となります。

武術・武道やスポーツでは脇を意識する機会はありますが、日常生活ではなかなか難しい場所です。

脇が甘くならないように脇にも注意・意識が必要です。

四方八方
あらゆる方向。あちらこちら。





2006.04.20 用意周到


武道と武術の違いは?

よく言われるのが、時代です。
明治以前が術(剣術・柔術・武術)、明治以降が道(剣道・柔道・武道)

武道にはルールがあります。
武術にはルールがありません。

武術は戦国の世に、命のやり取りを目的に発展したもので、その目的は少ない動きで最大の効果を挙げる。すなわち、効率のよい身体つかいの習得。

原始的に、戦場において剣・槍などが奪われたときに体術をもって対処できる身体つかい。
剣術も柔術も共有した身体つかいが存在していたのです。

武道はそれぞれ、剣道・柔道で身体のつかいかたが違います。
武道にはルールがあってそれに即して身体つかいが出来上がっています。

武術の最大の目的である効率良い身体つかいとは、身体の部位がそれぞれ自由自在に動かせることにあります。

では、格闘技は武術と何が違うのでしょう
私の考える格闘技はヨーイドンの世界であって(武道に似ている)、武術はつながっているものだと思います。

武術は一生続けられるもので、引退などはありません。

身体つかいの達人になれば、武の術を手に入れられます。

用意周到
細かいところまで準備や心配りが行き届いていて手抜かりが無いこと。
2006.04.18 和魂漢才
人の歩く姿が気になります。

街を歩いているときもついつい観察してしまいます。
果たして自分の歩く姿は?

私の最近の課題は下半身なのです。
上半身はそれぞれの部位をなんとなく自由に使えるようになっていたのですが、下半身がなかなかうまくいきません。

上半身は呼吸法と組み合わせて感じがつかみやすいのですが、腰から下が。

最近取り組んでいることは、
立禅の姿勢を保ったまま、左右の重心を意識的に変えてみる。

例えば、右足は地面を力強く押し付け、左足だけを持ち上げる感覚。

地面から感じる重力を、右足の小指から左足の小指まで伝達させる感覚。

これを時間をおいて繰り返すと、面白いことに骨盤のあたりが分解された感じが、だんだんつかめてきました。

這いの稽古で状態をいろいろな環境におくイメージをもつ。
這いの歩を進めるときに、田んぼから足を抜く感覚を意識する。

胸まで、腰まで、ひざまでのさまざまな水位のなかで歩くことをイメージする。

腰から足が離れていく感覚がつかめてきました。

ここ、2ヶ月くらいで下半身の感覚もだいぶましなはなったと思います。

身体のちからは具体的なイメージをもってとりくむとよいようです。

はたして、私の歩く姿に変化は見られているのでしょうか?

和魂漢才
日本古来の精神を保持したまま、中国の知識や学問を吸収すること。


2006.04.16 知行合一
西洋医学東洋医学の根本的違いは

西洋医学は人体を機械に置き換えて考えていて、病気・怪我は機械の部品の故障が原因であるから、故障箇所を修理するという思想です。

東洋医学は身体は一体のものでいかなる場合も、どこも切り離すことはできない。全体の調和をとることが大事であるという思想です。

最近は両者の良い部分を取り入れている医者も増えてきています。

また、物理学者の中にも気を科学的に証明しようという動きがあります。

アインシュタインが登場して、古典論から量子論に移ったとき、原子より小さい物質、素粒子の存在が新しい流れをつくりました。

宇宙すべてのものの原点に素粒子があり、言い換えれば、人体は素粒子の集合体であるという考え方で、気の流れは電荷を持った電子が流れていることとして、物理的に証明されようとしています。

身体が気持ちよかったり、痛かったり、他人にはわかりません。
身体は自身。

人間工学を研究している研究者が作ったロボットが人間にかなう日ははたしてくるのでしょうか。

知行合一
行為が伴って、初めて知識は完全になるということ。
2006.04.16 自由自在
昔、日本人は着物を着ていて、ゆえに帯を締めていました。



現代社会において帯を締めるなどということは特殊なことになってしまいました。

かくいう私も普段は帯を締めておりません。
ズボンのベルトは締めていますが。

一昔前までは、仕事から帰宅して、着物に着替えるという習慣が残っていました。
アニメ「サザエさん」の波平さんは着物に着替えています。

空手の道場でも、子供の空手着のズボンにはゴムが入っていたりしますし、稽古もジャージやトランクスで行っているところもあります。

帯を締めることで背骨につながる中心軸が締まり・決まります。
日本人にとっては、腰椎4番が大切なのですが、帯を締める位置がちょうど腰椎4番を意識できる位置なのです。
臍下丹田も楽に感じられる位置です。

ベルトでは無理なのです。

また、締まるといえば靴紐。
最近は、私の子供などを見ていても、紐なしの靴が増えています。


帰宅してすぐジャージ(パジャマ)に着替えると楽なのは当たり前ですが、身体のちからを意識したとき、
締めるということが大事なことになります。

「気を引き締めて」という言葉がありますが、締めることが無い現代人には真の意味が伝わらないこととなるでしょう。

自由自在
何事にもとらわれず、自分のおもうようにできること。
2006.04.13 六根清浄
ツボ・経絡・急所いずれも利用方法が異なるものの同じものといってもかまいません。

ツボ・経絡
現在も鍼灸マッサージなど体調を整えるためのに利用される、東洋医学の代表的なものです。

急所
武術・武道などで命のやり取りをするためにしようする箇所。(殺法
一方急所を利用した活法も対極にあります。

武術・武道の中でも重要なツボ・急所に人中(水溝)があります。

場所は鼻柱の下の溝の中に位置しやや鼻腔よりにあります。
人中の由来は、鼻を天門口を地戸といい、その間にあるので人中となずけられました。

人中は督脈で背骨を通って尻までの気血の流れがあります。
ここ人中路は常に活性化されていなければならない部分で、意識することが必要です。ここが活性化されていないと、気血の流れが滞ります。

重要な位置だけにここを打たれると、身体の中心線、脳天まで大きなダメージを受けます。
また、督脈を打たれるため内臓へのダメージもかなりのものです。

とにかく痛いです。

いっぽう、ここを治療を目的に刺激することで、糖尿病・むくみ・てんかんに効果があるといわれています。

また、めまいなどがおこったとき、親指でこの場所をひねりもむことで効果があります。

命のやり取りを目的に磨かれた技、命を生かすためにも重要です。
生と死はうらはらでつながっているのかもしれません。


人中 意識し活性化させる。

六根清浄
六根(目・耳・鼻・舌・身・意)から生じる迷いを断ち切り、心身とも清らかになること。




2006.04.12 緊褌一番
先日大東流合気柔術の先生とお話しする機会があり、その中で
『八風吹けども動ぜず天辺の月』という言葉を聞いて感じるところがあり調べてみると。
禅宗の言葉で、人間の心の中に吹く八種類の風のことをしめし、人生におけるさまざまな一喜一憂のこと。

そして八風とは、

利、成功すること

衰、失敗すること

毀、陰で誹ること

誉、陰で讃めること

称、面と向かって讃めること

譏、面と向かって誹ること

苦、苦しいこと

楽、楽しいこと

おそらく人生の波風は、この八つの中に含まれるであろうが、この波風繁き世の中に処して、天辺の月のような不動心を持って生き抜けと、戒められるのである。

ということです。

不動心、揺るがない心、なかなかむずかしいです。


身体と心は切り離して考えられないものなので、揺るがない身体を手に入れなければ、揺るがない心も手に入らないでしょう。

丹田力が備わった身体

身体と心が切り離せないように、現在と未来もつながっています。
そして大きな意味で、宇宙も。

そういう意味では身体も宇宙の一部なのかもしれません。



緊褌一番
決意を固くして、心を引き締めて物事に取り組むこと


2006.04.11 一心同体
左右のアンバランス

顔でも姿勢でも左右均等なひとはほとんどいません。
ある意味左右がアンバランスなのは当たり前のことだともいえます。

しかし、左右アンバランスが度を過ぎると身体に変調をきたします。

一番多いのが骨盤のずれです。
顎の噛み合わせも結構多いです。
風邪を引いたときも左右のわきの下で温度がちがいます。

左右のズレは意識して調整しなくては解消されませんが、判定することはできます。

簡単な方法として、足湯があります。
足湯とはクロブシの隠れるくらいまで足をお湯につけます。
脚湯というのもありますが、これは膝までお湯につけます。

足湯をしたとき、左右の足の赤くなり方が違うはずです。
赤みが強い方が敏感な方、つまり正常な方。
赤みが弱い方が鈍感な方、つまりズレが大きいほう。

赤みが弱い方を再び温めてやることである程度の調整にはなります。

意識しないで立っているとかならずどちらかに重心がかたよりがちです。
意識して立つことで、はじめて身体は正常に働くのです。

また、家族や恋人・友人の顔を見て左右の顔の大きさに変化があるときは病気や体調に変化をきたす前兆なので注意が必要です。

かみ合わせも意識することで顔がかわります。
人間の身体は全部つながっています。

マウスピースでかみ合わせを矯正したら腰痛が治ったという例もあるくらいです。

立つ・歩く・坐る・噛む

身体のちからはつながっています。

一心同体
多くのものが一つであるように強く結びついていること。






2006.04.08 酔生夢死
合理的・科学的トレーニングが当たり前になっています。
いろいろな研究と考察によるトレーニング理論が発表・実行されています。

器具をつかったトレーニング。
ウエイトトレーニングなど。

筋肉の増量が目に見えてわかったり、短期間で一見実用的な身体が完成したかに思えたりします。

私も昔はずいぶん熱心にやりましたし、ある意味苦しくとも結果が目に見えて楽しくもありました。

確かに昔は根性主義のメチャクチャなトレーニングが横行していました。
うさぎ跳び、練習中は水分を取らない、野球選手は肩を冷やすので水泳は禁止etc.

しかし、一方で器具を使ったウエイトトレーニングなどは身体を硬くし、結果怪我しやすい身体になってしまっています。

相撲を例にとると、横綱’輪島‘以降、力士もランニングやウエイトをやるようになったようです。

相撲の稽古といえば、四股・鉄砲が基本ですが。 
そして、欧米型のトレーニングの普及とともに...上位力士は外国人。

陸上競技の末続選手は日本古来のなんば走法を取り入れ結果を出しました。

日本人には日本人の体系・気質にあった鍛錬方法があると私は考えます。
四股ふみ 
良い鍛錬方法です。これにより足と腰のバランスがとれた下半身になります。
腰椎四番に効く鍛錬方法だと聞きました。

日本人にとっては重要な腰椎四番です。
正座や帯を締める生活を成していたころは自然に身についた腰椎四番です。

酔生夢死
価値あることを何もせず、ただぼんやりと一生過ごすこと。

2006.04.06 安心立命
周りに目を向けると。

私の住んでいる場所は東京などには及びませんが都市の部類だと思います。
利便性もよくまずまず満足しております。

年に何度か出張があり、全国を訪れるのですが、最近つよく感じることとして、どこも似通った街並になってしまったなということです。

去年、久しぶりに京都を訪れたとき、駅前の変貌ぶりにびっくりしました。

携帯電話に代表されるように確かに便利で快適な生活環境を手に入れました。
しかし、失ったものもあるように思えます。

あれば便利ですが、果たして本当に必要なものなのでしょうか?

街にあふれるイルミネーションやライトアップ、確かにきれいですが...

私には忘れられない星空があります。
小学6年の林間学校で見た零れ落ちんばかりの星空。
プラネタリウムのようでした。しかし、まさしく目にしていたのは本物。

15年ほど前に訪れた小笠原・婿島で見た南十字星。
日本でも南十字星が見えるのです。
なぜか涙がこぼれました。
そして、びっくりするくらいの流星。

ダイビングに夢中のころは離島によく滞在しました。
そこにはコンビニエンスストアもなければ、銀行もありませんでした。
滞在費が底をつきお金を下ろすとき、通帳・印鑑を持って郵便局の窓口に並びました。
最初の1・2日は不便に感じました。

しかし、3日もすれば問題ありませんでした。

街にはいろいろな音があふれています。
BGM・人々の声・車の音etc.

バイクで一人旅をしている頃、よく林間に一人用のテントを張り野宿しました。
シャワーもなくBGMもTVもありません。
はじめての野宿の時はいいしれぬ恐怖感もありました。

しかし、何度か野宿を重ねると、木の葉がぶつかり合う音、風の音、そして獣の声(?)が安心感を与えるようになりました。

あるとき、ニホンカモシカと遭遇して、1時間くらいにらみあったこともあります。熊かと思うくらい大きくてびっくりしましたが。

今私は街に住んでいます。
そして、利便性の中に埋没しています。

身体のちからは内なるものから外へも目を向ける必要があるかもしれません。

安心立命
心を安じて身を天命にまかせること。利害に動じず心を惑わされないこと。
2006.04.06 三寒四温
地球の重さを感じる
朝の鍛錬で感じることです。

私の朝の鍛錬は、立禅・揺り・這いという意拳・太気拳など武術の基本鍛錬を模倣したものです。

立禅については前に少し説明しましたが、
揺り・這いについて

揺りは立禅で養った気を静から動へと導く橋渡しのような役割です。
基本の一つ、
立禅の状態から一歩足を前に踏み出して、胸の前の両腕で大木を押すように、そして押したら、大木を自分に引き寄せるように。
このとき立禅で高まった気分を逃さないよう注意します。
とにかくユックリ、ユックリ。
踏み出す足を左右かえて、5・6回行います。

終了したら充満した気を抜くために胸の辺りで両手を重ね、地面にむけてすばやく力つよく降ろします。
(心臓マッサージのてのかたちのようです)

這い
這いです。
まさに字のごとく這うような速さで5mほどを20分くらいかけて往復します。
足は肩幅くらいに開いて平行に立ちます。
ひざは緩く。

腕は、立禅のように胸の前で軽く輪をつくり、手の平は地面に向けます。
身体はプールに入っているようなつもりで、手のひらの下には水面に浮く板がある感じです。
この板を水平に前に移動するつもりでユックリ、本当にユックリ一歩ずつジグザクに進みます。

足運びはさし足のイメージで、かかとは直角に近く、このとき足の裏全体で地球を引きずる感覚です。とにかく足が重く感じられるように。
20分はちと大げさですが、私で10分くらい前後6・7歩というところでしょうか。

とにかくすべてをゆったり。

ジョギングや激しい運動は一切ありませんが、汗にびっくりします。
身体の内外に汗をかいた感覚です。

春めいてきて、朝の様子にも変化があります。
春はなんとなくザワザワせわしないです。

三寒四温
冬に寒い日が三日ほどつづき、その後に4日ほど暖かい日がつづくような状態が繰り返され、次第に春が近づくこと。
2006.04.04 円満具足

○○のコツの、コツの起源が骨からきていることは以前お話しました。
骨子・骨太・骨のある・骨身にこたえるetc.

骨に関する言葉もたくさんあります。それだけ骨を身体で体言できた人が昔は多かったということでしょう。

骨を意識することも身体のちからのうえでは大切なことです。
筋肉はなんとなく意識しやすいと思いますが、骨を意識するとは?

筋肉は骨を覆っています。つまり骨は身体の根源をなす中心なのです。

骨を感じながら生活するといろいろな身体の動きが変わります。
今までの動きに誤解があったことに気ずくこともありおもしろいです。

たとえば、電車でつり革や、つかまり棒(?)をつかんで身体を支えるとき、ひじを曲げて立つと一見揺れに対応してそうですが、実はこの状態だと背骨を中心の胴体の骨・筋肉が硬直して対応しにくくなります。
逆に、ひじを伸ばして腕を一本の棒のようにすると、胴体部の筋肉が緩んで、揺れに動じない状態になります。

立ち方にしても、靴の外側が減る人はヒ骨に体重がかかり、ケイ骨をほとんど使っていないこととなりロスの多い立ち方となっています。
私もかなりロスの多い動きだったようですが。

骨を意識するとロスのない動きになり、言い換えればラクになるのです。

また、恥骨というのがありますが、恥骨は呼吸に関連しているらしく、正しい呼吸ができない現代人は、呼吸器に問題が生じ、恥骨が飛び出した状態になり、恥という概念が薄らいできたと言う研究者もいます。
昔の日本人は恥という概念が強く、恥骨を意識することで(正しい呼吸をする)恥という概念も強く意識できたのではないでしょうか。


身体のちからのポテンシャルは無限に高まります。


円満具足
すべてが十分に備わり、満ち足りて満足なこと。
2006.04.03 古往今来
日常生活の中で人間の動作は大きく分けて
寝る(横たわる)・立つ・すわる・歩く

この中ですわる

最近は椅子に座る機会が一番多いかもしれません。

日本の伝統的な生活は
それに伴って、正座・あぐらという座り方となっていました。

正座にも正しい座り方があるようですが、細かいことを気にせずとも正座をすると背筋が伸びます。
そして、視線をぐっと前方下に向けると下丹田を意識することができます。
立った状態や歩いているときより意識しやすくなります。
もちろん肩は自然に下げたなで肩が理想です。

しかし、長時間の正座はなかなか大変です。
足もしびれます。立ち上がれなくなるほど。
しびれない座り方もあるようですが。
ただ、私の祖母などは椅子の上でも正座をしていました。
子供の頃より、生活の中で鍛錬された座り方だからでしょう。

たとえば、正座して食事をすると姿勢と胃の位地の関係で、腹八分で済むようです。
満腹まで食べたいときは正座から胡坐などに姿勢を崩す必要があります。

また、正座によって自然に腹筋・背筋がバランスよく鍛えられて、腰痛になりにくくなります。
(椅子には大体背もたれがついているので、主に背筋を使うことで、腹筋とのバランスがくずれ腰痛が多くなるのです。)

また、正座から立ち上がるときのにも、自然に身体を意識する動作となっています。はら・背骨・腰

最近では本当に正座をする機会が減っています。
私自身も同様です。
機会があるたび短時間でも、意識して正座するようにしていますが。

身体のちからは実は生活にひじょうに結びついたものだと実感させられます。

古往今来
古今。昔から現在に至るまで。


2006.04.01 師資相承
私と武術の出会いは小学低学年のころ。
身体がよわく、泣き虫だった私の行く末を心配した母は、叔父(母の弟)に頼んで柔道の稽古に行かせたのです。

叔父は柔道3段、中学・高校と県のチャンピオンになったほどの実力の持ち主でした。
弱虫だった私は柔道の稽古がいやでした。
そんな私を、稽古後のアイスクリームやたこ焼きでだましだまし、叔父は連れて行ってくれました。

私の相手はもっぱら叔父です。
その頃は町の道場といえば、高校生・社会人が中心で子供はほとんどいませんでした。
(いま、柔道にかぎらず町道場は、少年部・壮年部が中心です。青年はどこへ?)

叔父はめずらしいことに左構えでした。
自然に私も左構えになっていました。
柔道の「左構えは」 おく襟が左手、袖が右手です。左手・左足が前の半身です。
空手やボクシングなどの打撃系でいえばオーソドックス・右構えです。

泣き虫で弱虫だった私もさすがに高学年になる頃には結構逞しくなっていました。
そして、叔父に厳しく鍛えられたおかげで、中学時代も結構活躍することができました。
大体が右構えの対戦相手に対して左構えだったことも有利に働いたと思います。(叔父に感謝しています。)

構え方については後の私の武術の稽古に良くも悪くも多大な影響を与えることになるのですが。

さらに、中学の体育で(たまたま私の中学は体育の格技が剣道だったので)授業で剣道を体験したときですのことです。
柔道とはまったく違う身体の使い方にとまどいました。
「距離感・力の使い方・足の運び」
体育の授業ので体験した程度にもかかわらず。


他にもいろいろな武道があることを知った私はだんだんと武道へのめりこむことになったのです。

すべてのきっかけは、弱虫・虚弱体質の克服でした。

師資相承
師匠の教えを弟子へと教え伝えていくこと。
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